地震の日(1)

ブログ | 2011/3/22 21:48
新年度の打ち合わせと歓送迎会の日だった.歓送迎会の会場へ歩いている最中に,どうしようもなく揺れた.
高輪台のあたりは古く小さな建物が多い.道路の向こう側のおまんじゅう屋さんから,瓦がざざざと歩道へ落ちていった.
揺れ止まない電柱と電線の異常さに,ついに東海かと思い,すぐ近くの公衆電話に駆け込んだ.
仙台の母に無事を伝えるつもりだった.しかし電話は,繋がらなかった.
メールでいいかと諦め電話ボックスを出て,目に入ってきたのは,道行く人の震度7宮城,大津波警報というワンセグ画面だった.

震度7を観測したのは内陸の栗原市.あそこは多少揺れやすい.問題は大津波警報だった.
予想される津波の高さが10mというテロップが見えた.一瞬,気が遠くなった.
それは異常なことだった.
大津波警報については,北海道南西沖地震,奥尻島の青苗地区で6mと頭にあったが,その倍.

そしてワンセグからは東京の被害が流れ始め,頭上に流れている黒煙が,テレコムセンターの屋上の火事だと言うことを知った.
歓送迎会のホテルに着くも,駐車場には館内からそのまま出てきた客やコック,ウェイター,ホテルマンで溢れていた.
その頃,再び大きな揺れが来た.思えばあれが,茨城沖だったのだろう.

鉄道は全線止まってしまった.帰宅難民になってしまったな,と思った.
携帯電話は輻輳してしまい,SMSは送れなくなった.とりあえずtwitterにアクセスすると,彼女からDMが来ていた.
TLは読めなかった.Dの内容としては,来て欲しいということで,徒歩で品川から麹町まで向かうことにした.

とはいえ,いま向かっても早いので,もう少し打ち合わせをすることにして,場所に戻った.
そこで目に入ったのが,気仙沼といわきが津波に飲み込まれていく瞬間だった.

結局,打ち合わせの内容も深化しないまま,品川を出た.
小さなお寺の石灯籠が倒れていた.道すがらに老夫婦から余震はあるのかと尋ねられ,しばらくは続くでしょう,と解説者のように答えた.
思えばあの日は,イヤホンをしている人が少なかったように思う.
第一京浜沿いのオフィスビル前には,おそろいの色のヘルメットをかぶった集団が避難していた.
大学紛争の景色の一部のように思えた.

それにしても街は乱れていなかった.
これは後々に「混乱しない日本人」として報道されたようだったが,僕には異なって感じられた.
なんと言えばよいのか言葉が足りないが, 熱がない とでも言おうか.

この地震の被災地は三陸であり東北であるが,確実に東京も関東も被災地だった.
被災地になった今ですら,隣り合う人と声を掛ける姿はほとんど無く,一人ひとりがガラスの城に入ったままに,歩道を流れてゆく.
この人たちは,どうすれば,必死になるのだろう,と思った.
タグ
縮小 拡大

ログインしておくと、後で編集が可能です。

Rottel内コンテンツ

ユーザー一覧

Rottelとは?
利用規約
開発飲料
利用者の声
ヘルプ
close