地震の日(3)

ブログ | 2011/3/22 23:49
彼女は赤坂に友人を迎えに行くという.
京都時代の後輩らしく,この4月から東京で仕事をするのだという.

途中,赤坂,TBSの前を通った.大型のビジョンで自社の映像が流れており,内容は忘れたが,福島の映像が流れていた.
そのころはまだ,原発の話は大きくなかった.

気付けば品川から,時間で言うと地震発生から歩きっぱなしだったので,オフィスビルのロビーに置かれたソファに3人で腰かけた.
チヒロさんというその後輩も,コンビニでひとしきり揃えていた.同じく,阪神大震災の記憶らしい.
違ったのは酒が入っていたということか.

思えば一時間近く座っていたのかも知れない.
そのうちに,銀座線と半蔵門線の一部が運転再開と館内放送が流れた.
渋谷まで出られると,彼女の家までは歩いて帰れる.ありがたかった.

赤坂見附から渋谷までの銀座線は,そこまで混んでいなかった.
地上を歩く人の多くには,どうも情報が伝わっていないようだった.

銀座線の渋谷駅は,地形の関係で,地上3Fくらいの高さに着く.
明治通りへ降りる途中で見たものは,規制線の張られた東横線改札と,そこに向かって声も立てずに並んでいる,1000人規模の行列だった.

あの光景が今回,一番不気味だった.
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地震の日(2)

ブログ | 2011/3/22 23:27
麹町への道はなかなか遠かった.
荷物も重く,麻布や愛宕山を革靴で越えるのも難儀だった.

赤羽橋の辺りで,東京タワーを撮っている集団がいた.ふと気になって,何を撮ってるのですかと尋ねると, ほら先端が曲がってるのですよ と教えてくれた.確かに避雷針の先端が曲がっていた.でもその時は,地震に依るのか疑っていた.写真を撮る気にはならなかった.脇を通り過ぎていった都バスには,乗客がデッキまで満載だった.

日が暮れたころになって気付いたのは,コンビニの物の無さだった.
食料はおろか,携帯電話の充電キットがすべて売り切れる事態はそうないだろう.

帰宅が始まる時間帯になって,歩道には昼間と違うノイズ,苛立ちを感じ始めた.
どこのタクシー乗り場にも,長蛇の列が出来ていた.僕は電車が動かないことを確信していたので,理解の出来ない行動だった.
しかし,並ぶしかなかった人も多かったと今にして思う.

赤坂見附にソフトバンクショップがあったので,iPhoneを充電しようと立ち寄った.
しかしコンセントがすべて埋まっており,どうしようもないと断られ,店を出た.まぁ,どうしようもない.

そこから少し紆余曲折あって,麹町で落ち合えたのが19時半.
彼女はコンビニでおにぎりのど飴軍手ポテトチップスといった買い出しを済ませていた.
手際の良さに驚くと同時に,自分にその発想がまったくなかったことに気がついた.
話を聞くと,阪神大震災のときの教訓だという.どこでどう被災したか知らないが,感心した.
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地震の日(1)

ブログ | 2011/3/22 21:48
新年度の打ち合わせと歓送迎会の日だった.歓送迎会の会場へ歩いている最中に,どうしようもなく揺れた.
高輪台のあたりは古く小さな建物が多い.道路の向こう側のおまんじゅう屋さんから,瓦がざざざと歩道へ落ちていった.
揺れ止まない電柱と電線の異常さに,ついに東海かと思い,すぐ近くの公衆電話に駆け込んだ.
仙台の母に無事を伝えるつもりだった.しかし電話は,繋がらなかった.
メールでいいかと諦め電話ボックスを出て,目に入ってきたのは,道行く人の震度7宮城,大津波警報というワンセグ画面だった.

震度7を観測したのは内陸の栗原市.あそこは多少揺れやすい.問題は大津波警報だった.
予想される津波の高さが10mというテロップが見えた.一瞬,気が遠くなった.
それは異常なことだった.
大津波警報については,北海道南西沖地震,奥尻島の青苗地区で6mと頭にあったが,その倍.

そしてワンセグからは東京の被害が流れ始め,頭上に流れている黒煙が,テレコムセンターの屋上の火事だと言うことを知った.
歓送迎会のホテルに着くも,駐車場には館内からそのまま出てきた客やコック,ウェイター,ホテルマンで溢れていた.
その頃,再び大きな揺れが来た.思えばあれが,茨城沖だったのだろう.

鉄道は全線止まってしまった.帰宅難民になってしまったな,と思った.
携帯電話は輻輳してしまい,SMSは送れなくなった.とりあえずtwitterにアクセスすると,彼女からDMが来ていた.
TLは読めなかった.Dの内容としては,来て欲しいということで,徒歩で品川から麹町まで向かうことにした.

とはいえ,いま向かっても早いので,もう少し打ち合わせをすることにして,場所に戻った.
そこで目に入ったのが,気仙沼といわきが津波に飲み込まれていく瞬間だった.

結局,打ち合わせの内容も深化しないまま,品川を出た.
小さなお寺の石灯籠が倒れていた.道すがらに老夫婦から余震はあるのかと尋ねられ,しばらくは続くでしょう,と解説者のように答えた.
思えばあの日は,イヤホンをしている人が少なかったように思う.
第一京浜沿いのオフィスビル前には,おそろいの色のヘルメットをかぶった集団が避難していた.
大学紛争の景色の一部のように思えた.

それにしても街は乱れていなかった.
これは後々に「混乱しない日本人」として報道されたようだったが,僕には異なって感じられた.
なんと言えばよいのか言葉が足りないが, 熱がない とでも言おうか.

この地震の被災地は三陸であり東北であるが,確実に東京も関東も被災地だった.
被災地になった今ですら,隣り合う人と声を掛ける姿はほとんど無く,一人ひとりがガラスの城に入ったままに,歩道を流れてゆく.
この人たちは,どうすれば,必死になるのだろう,と思った.
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