家紋-多湖(丸に亀甲に花菱)

写真 | 2011/10/24 22:44
親ブログ: 直系家系図。
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北海道に在住しています。多湖(丸に亀甲に花菱)が私の父方の名前で、三重県から北海道にやってきたらしいという話があり、ルーツを探りたいと、考えています。父も高齢になり、自身のルーツが知りたいと・・・三重県で酒屋?酒造り?をしていたらしいとまでは聞いたことがあるそうです。北海道でも珍しい名字で、どのような流れで北海道にやってきたのか・・・探ることができたらとコメントさせていただきました。来春に三重へ旅に行きたいと考えており、由来が少しでも、家系が少しでも判れば、訪ねてみたいと思っています。
多湖についてご存じでしたら教えてください。
多湖のルーツを求めて | 2012/09/30 21:49
ITIKAWA-KAKEIZU
多湖のルーツを求めてさん。コメントありがとうございます。大変興味深く拝見致しました。気付くのが遅くなり申し訳ありません。

多湖家は、私の曽祖母の実家にあたり、且つ、その世代では我が市川家、多湖家の兄弟同志で結婚していたりと大変繋がりが深い家となっています。ただし、三重県いなべ市の員弁町下笠田近辺は多湖姓が非常に多いです。それでも、どこかでつながっているかもと思うととても興味深いですね。

本当は当ブログでも多湖家については詳しく書くつもりなのですが、サボってしまっています。^^;なので、現在私が知り得ることを箇条書きに致します(私自身も多湖家について調査中です)。

・曽祖母の実家の多湖家は、初代が多湖宇平治(単に宇平とも)と言い、多湖本家からの分家にあたります。
・多湖本家とここで私が呼称している家は、旧員弁町下笠田地域の庄屋を代々努めた家で、戦国時代に下笠田城主であった「多湖大蔵介橘実元」の末裔らしいです。また、戦前には「多湖実夫」氏が山梨県知事を努められ、歴史に名を残されています。
・多湖本家は広大なお屋敷が員弁町下笠田にありましたが、ご子孫は皆東京へ移り住まわれたそうで、何年か前に屋敷も処分され、宅地として分譲されてしまいました。
・曽祖母実家の多湖家(分家のほう)には、90歳を超えるおばあさんがいらっしゃり、多湖家のことは色々お詳しいと聞いています。ただ、私の伯父や従兄弟伯父だと親しいようですが、私自身はなんの面識もないので、近いうちに従兄弟伯父を通じてお話を聞ければと思っているところです。
・多分本姓は、「橘」だと思われます。曽祖母実家の多湖家の墓には、「橘」表記も見られます。

何かお力になれればと思います。よろしければツイッターでダイレクトメッセージをくださるか、お手数ですがメールを頂ければ幸いです。もちろんこちらへの書き込みでも構いません。

m_itikawaあっとやふー.えぬいー.じぇーぴー
https://twitter.com/ITIKAWA_KAKEIZU
(メールアドレスはスパム防止のため直接表記してません)
市川 | 編集回数: 5 | 2012/10/10 14:56
気付いて頂きありがとうございます。お返事が頂けて・・・わくわくしています。
父が三重に行くことを楽しみにしており、春までに少しでもルーツに近づけたらと考えています。
これも何かのご縁だと・・・お力をお貸し頂ければ幸いです。
ダイレクトメッセージか直接メールをしたいと思いつつも・・・ツイッター?メール?どうすればいいのか?(^^;)お恥ずかしい限りです。


多湖のルーツを求めて | 2012/10/14 21:59
ITIKAWA-KAKEIZU
多湖のルーツを求めてさん。
こちらこそお返事いただけてほっとしています。戻ってきてもらえてよかったです。
折角遠方からお越しになるとのことですから、微力ですが可能な限り情報を調べるお手伝いをさせていただけたらと思います。ひょっとしたら、私の祖先と関わりあるかもしれないと、ほんの少しの可能性でもわくわくしています。

m_itikawaあっとやふー。しーおー。じぇーぴー
こちらがメールアドレスになりますので、一度メールいただけませんでしょうか?ただ、一つお願いがあるのは、このメールアドレスはスパムメールが多数届いてしまっていて、「多湖のルーツを求めて」さんのメールが埋もれてしまいかねません。必ずメールしていただけたら、こちらのコメント欄にも一言「メールしたよ」と書き込んで頂けますでしょうか。よろしくお願いします。

それではお待ちしております~。
市川 | 編集回数: 2 | 2012/10/15 01:01
お返事ありがとうございます。知らない土地に何もわからないままで、ルーツを求めて旅に行くと考えると心細く・・・
本当に助かります。
メールの件ですが・・・今、このコメントへの返事があれば今メールしますが・・・なければ明日の22:00前後でコメント確認できればメールします。
うまくコンタクトが取れるようになること願います。

多湖のルーツを求めて | 2012/10/17 22:29
ITIKAWA-KAKEIZU
多湖のルーツを求めてさん。
何度も確認しにきてもらって申し訳ないです。なかなかすぐに気づけなくて。(^^;
本日22時頃注意して、確認するように致します。お待ちしています!
市川 | 2012/10/19 17:16
気付いて頂きありがとうございます。遅い時間になりますが、22時頃にメールします。では後ほど・・・
多湖のルーツを求めて | 2012/10/19 21:14
ITIKAWA-KAKEIZU
多湖のルーツを求めてさん。

ありがとうございます。無事に届きました。
今から返信致しますが、多分、長文になると思うので、先に謝っておきます。すみません。笑

--
追記。メールしました。長文になってますし、文章も上手ではないので色々わかりづらいかと思います。
すみませんが、わからない所はご質問下さい。^^;;

--
追追記。
早速のお返事ありがとうございます!すぐにでもご返信したくなってしまいますが、夜も遅いのでとりあえず控えておきます。(^^
市川 | 編集回数: 2 | 2012/10/19 22:41
私も多湖です。私も本家(三重県)に一度行ってみたいと思ってます。
たごっち | 2013/10/19 21:11
ITIKAWA-KAKEIZU
このページもなかなか確認できてなくて申し訳ありません。

ちょっとご報告をさせて頂きますと、上の「多湖のルーツを求めて」様とは、実際にメール交換、電話を経て、なんと私の祖先と完全に一致はしませんが、ごくご近所で、同郷ということが判明致しました。その後も除籍謄本を代行で取得させて頂き、実際にご家族で三重へお越し下さいました。三重へ残っている系統で御先祖様が同じの多湖さんとの面会も果たされとても感謝して頂けました。私自身、一連の出来事は興奮の連続でとても楽しかったです。(多湖のルーツを求めて様のご好意で経緯掲載許可済みですのでご報告させて頂きました)

>たごっちさん
 もし、またこちらのページにお越しになって下さり、ルーツをたどりたい等のご希望がございましたら微力ですが協力致しますので(まずはメールアドレスをお教えしますので、メール交換から始められればと思います)、コメント下さいね。(^^)
市川 | 編集回数: 1 | 2013/10/23 13:50
現在、多湖家の由来を三重県の文藝委員の方の依頼で調べております。現在まだ纏まっておりませんが簡易ではありますが記します。
橘氏は第三十代敏達天皇を太祖とする氏族で、元明女帝に仕えた県犬養三千代が橘宿禰姓を賜り、 三千代と敏達天皇の皇胤美奴王との間に生まれた葛城王が臣籍に列し橘諸兄を称した。のちに諸兄は橘朝臣の姓を賜与され、 子孫は橘姓を称した。橘美千代は後に藤原不比等に奪われ院になり光明皇后を生んでいる。
多湖氏(橘綿裳 注釈③ 多湖氏の祖と考えられる人物)は兵庫県(美作国)より上野国(現在の群馬県)へ朝廷の命令によりとして派遣されたとある。山背守(京都の国守)もしている。
日本三大古碑 多胡碑にも記されているが、大陸・朝鮮半島の動乱により、難民が大和国へ逃げて来ており、その数6000人とされ、この難民の所在に困った朝廷が、その頃人口が過疎であった。現在の群馬県多野郡近郊に多胡郡という六村からなる村を作りそこに居住させたとある。(注釈③)橘綿裳氏はその上野員外介として朝廷より派遣される。
敏達天皇は高句麗と国交を開いた人であり。百済からも貢物を貰っていた。その子孫である橘綿裳氏が員外介として上野国へ派遣されたのも理解が容易である。

その後、楠木正成が兵を挙げると橘家同族?として100名程の多湖祖先が派兵されるが、楠木正成が敗退すると、現在の滋賀県醒ヶ井(多湖家十軒ほど有り)に逃げるが京より再度追われて上野国多胡郡へ逃げる。しかし再三、京より追われ、多胡碑の拓本をとり同族地を転々として、現在の三重県いなべ市(注釈④)員弁町下笠田に転居するとされている。その後は豪族として現在に至る。
この拓本(注釈⑤)は、多湖實夫家より古家取壊しの際、見つかり。伝記の信憑性をあげるものとなる。
多湖家の別所在としては、信濃国(松本藩)にも藩儒として多湖栢山(注釈⑥)が存在し多湖文書は松本城の天守閣にその功績を称える展示がされていたが、現在は信州大学付属図書館で保存される。また、信濃国も橘家同族が収めた国である。

多湖家も上杉民部大輔顕定氏に上野国四郡(多胡・那波・緑野・山田)の守護を拝命しており(一度逃げて隠栖していたのち再び上野国の守護となる)、その時に、故郷の大和国吉野郡多古村から多湖を名乗ったとされており上杉家との親交も後には深かったと考える。故郷では楠を名乗っていた。この辺より楠木家との親交があったとされる。楠家の家紋は三つ盛菊水で伊勢楠家は菊水を使用していることから、楠家の元々の家紋を伝承していると考える。
因みに菊水家紋は楠木家が後醍醐天皇から授かった家紋で以前の家紋は定かでは無い。

簡単に記すと
敏達天皇の子孫 橘綿裳が兵庫県より群馬県へ
楠木正成に派兵される 正成敗退
滋賀県醒ヶ井に逃げる 群馬県に戻るが居場所がなく敏達天皇同族の故郷 河内国の隣大和国吉野郡多古村に隠栖する。再び群馬県へ戻る途中楠太郎左衛門尉正勝が笠田の地で死亡している。群馬県到着後守護を務めて南朝再興を企てたが幕府より追われ、現在の三重県いなべ市員弁町下笠田に定住し豪族となり現在となる。

實夫さんは私も面識がありますが、實夫さんから現在わかっているのは二十六代前で初代楠左近太夫正玄

笠田で死亡したのが、四代目楠太郎左衛門尉正勝
多湖と改名したのが五代目多湖次郎左衛門正網(長禄元年(1547年)五月 上野国四郡守護
六代目 多湖形武太夫正吉 が17歳で上野国をでて北畠氏に仕え武功をあげ笠田の地を賜る。
二十五代目多湖実 判事 次男貢は医者
二十六代目多湖實夫 東京帝国大学法科法律科卒 各知事歴任地 東京府 大阪府 静岡 宮城 奈良 三重 山梨 卒官後 名古屋国際ホテル社長 愛知医科大学理事長 従五位勳六等

取り合えずですが,


TGK 多湖 | 2014/01/14 22:36
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