梶家[三重県員弁郡平野新田→山郷村→北勢町→いなべ市]

ブログ | 2011/11/2 15:17
まずは登場人物のまとめですが、読み飛ばし可能です。梶家は、梶重五郎が最も遡れるご先祖ですが、妻の名前がわかりません。長男の彌五兵衞が継いでおり、梶彌五兵衛、または梶彌五兵エ、梶彌五兵ヱの表記のゆれ、他に新字にするなら梶弥五兵衞、梶弥五兵衛、梶弥五兵エと梶弥五兵ヱなどがありえます。妻の梶みしは、片山家から嫁いでおり、片山みしでした。二人の三女の梶すへが市川家に嫁ぎ、市川すへとなりました。

【家系図はこちら】

梶家は、養曽祖母市川すへの実家にあたります。現在でも市川家現当主と梶家の親戚付き合いはあるようで、数年前、梶家の現当主の奥さんが亡くなった時に、伯父夫妻が葬儀などに出たと耳にしました。私はそこで初めて梶姓の親戚が居ることを知り、父に関係を尋ねたところ、

「多分、実家のおじいさん(市川家四代目源十郎)の代の奥さんの実家かなんかじゃないか」

おぼろげながらも珍しく知っていました。久しぶりに祖父哲二が作成した市川家家系図を見てみると、確かに梶家から、すへが嫁いできていることが記述されていました。
三十年以上生きてきて、全く知らなかった親戚が居ることに驚き、このことも家系に強く興味を持つきっかけとなりました。

その後梶家は戸籍がとれたので、ある程度はわかりました。墓は住所地の共同墓地にあることを確認したのですが、墓石は新しいものの、戒名のみで俗名がわからないので、墓から読み取れることはほとんどありませんでした。
現当主はご高齢ながらお元気のようで、父でも名前を知っているようでした。実は私も、ある病院の待合室でお姿をお見かけしたことがあります。取得できた戸籍にも載っており、特徴的なお名前なので、覚えのある「梶○○○さーん」という看護師の呼び出しにハッとして見たものです。よっぽど声を掛けたかったのですが、ご当主からしたら、「叔母が嫁いだ家の分家の二代目」なんて顔も存在も知らない訳で、遠くから眺めるだけにとどめておきました。

墓地の様子からするに、現当主であれば戸籍からわかる情報以上のものをお持ちだと思います。一度お聞きしたいとも思いつつも、直接の血の繋がりがない子孫って、どう思われるんだろうとも考えてしまって、何も行動にうつせていません。お元気そうとはいえご高齢でいらっしゃるので、後悔したくないのですが…。

梶彌五兵衞[天保11~明治39]は、私の養曽祖母の父にあたり、先代重五郎の長男です。養曽祖母のすへは三女で、市川家四代目、源十郎に嫁ぎました。明治5年の壬申戸籍編成前までに先代は亡くなっており、戸主になっています。死亡により長男の芳太郎に家督相続されました。明治19年式戸籍の中で亡くなっていることもあり、母の名前が戸籍からわかりません。

梶みし[嘉永2~大正9]は、私の養曽祖母の母にあたり、明治5年に片山家から梶家当主彌五兵衞に嫁ぎました。

梶重五郎[?~?]は、私の養曽祖父の祖父にあたり、梶家で戸籍で遡れる最も古いご先祖です。長男彌五兵衞の戸籍で名前のみ確認できます。明治5年の壬申戸籍編成前に死亡による家督相続が行われているようです。彌五兵衞が天保11年(1840年)生まれなので、重五郎が15歳~45歳であったとするなら、寛政7年(1795年)~享和~文化~文政8年(1825年)生まれと推測されます。妻の名前は戸籍ではわかりません。

【今後これ以上遡るのに考えられる方法】
・現当主がわかっており、そこまで疎遠でもないので、伯父に紹介してもらう。
・墓地では戒名しかわからないが、ひかえてないので控えておく。
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